てぃーだブログ › クズケンの独りゴト

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Posted by TI-DA at

2011年02月26日

ひるねの前に

僕のblogの中で度々触れているのですが、モノの本質について、昼寝する前にちょっと語りイレマス。(勝手な意見なので気にしないで読んで下さい)

本質なんてものは、目的が変われば変わってくると思います。
ま、本質じゃなくて、主旨かな?

見る角度を変えればまた見え方が違うように!
視覚の話しで言えば、目の錯覚を起こしたように、全く違うモノに見えてしまったり。

考え方もイロイロ。

考え方も主観的と客観的ではまた違いますよね。

主観的は願望というか、都合、欲、意思とか入り混じった考え。
まあ主観だから。

客観的は第三者目線。
簡単に言い過ぎかな?

第三者が問題な時が多過ぎるかな?
結局、第三者目線、常識の上で考えても、他人の意見を聞いたりしないかぎり、自分の頭で考えた第三者にすぎないんだよね。
ここが、怖い。

だからヒトは学ばなければいけないんだと思うし、学び続けなきゃならない。
生涯学習。

なんて事を思ったりしています。
導き方が曖昧になってしまいましたが、細かい説明はまた今度

お休みなさい。  


Posted by くず at 11:51Comments(0)

2011年02月26日

独り言

前回話しのオチがないような事をツーツーと語りいれましたが、生きていくために必要なもんって、いたってシンプルなものだと思うんですけどねー。
たまに突っ込んで考えたくなる時がありますね。

ま、脳みそくっついてるんで。

考えて行動するの繰り返し。  


Posted by くず at 11:10Comments(0)

2011年02月24日

独り言

自発的な考えとなるものとは一体なんであるのか。

私の小さい頃は、みんな生きている意味というよりは目標、夢があって、それに向かって生きていっているのだろうと考えていた。
自分はというと、欲がなく、競争などには興味がなく、やれと言われればやるといった感じで、少し冷めた少年だったが、小学生の高学年あたりからスポーツをするのに夢中になった。
はじめは勝っても負けてもどちらでも良かった。
みんながなぜ勝ちたがるのか良くわからなかった。
私は少し馬鹿だったのか?

それでも損はしたくないとは思っていた。
練習は好きだった。
スポーツは楽しく、頑張れたらそれで良かった。
気分がいい。

喧嘩はやられたら、やり返すが私のスタンス。
それは昔も今も変わらないが。

中学にあがったくらいからは順位がやっと気になりだした。少しは目立った方が、得な事が多いと知ったからだ。

「練習した分、勝ちたいだろ?」とか言われる

別に、というかそういう考え方はあまりない。

周りの受け売りに過ぎなかった。

高校も体育の先生になろうかなぁと思っていたが、そこまで成りたいとも思っていなかった。

何故なんだろう?
そういう思考が欠落していたのか、おめでたい野郎だったのか?

高校を辞め、働いたが、実力主義の会社で、やることやれば、出世したが、別に頑張っただけの話で、スポーツみたいだったから楽しかっただけだ。
お前は欲が無さ過ぎると言われ続けたが、一応出世街道には乗っていたが、短気なのが祟った。

嫌な事は嫌。はっきり言ったし、ズルは嫌い。
納得がいかない事には突っ掛かった。
数字を出せと言われれば出したし、1ヶ月400時間だって働いた。
(当時は管理職は残業代は貰えなくても、そこまで法律に触れなかった為、管理職に残業代はない。)

入社式の二次会には上司に酒注がないで怒られた、何でペコペコしなきゃならんのだと。
会社の部活でウィンドサーフィン部に入っていて、日焼けで黒くなって、役員に怒られたが、反論し、最後まで謝らなかったが、その時は昇進出来なかった。左遷されないだけマシか。
社員旅行ではコンパニオンのねーちゃん二人囲ってたら、目立ち過ぎだって言われ、アニキ分に殴られたが。後で聞いたが近くに役員がいたからだってさ。
もっと頭を使っていれば良かったが。中身がなかった。

何が言いたいかと言えば、何の為に今何をするか?という事で、後先をちゃんと考えるという事。
それは先程の問、自発的なもの。
社会に適応しているだけじゃ足りないという事。
適応もしてなかったが、、。

そんなに甘い世の中ではない。

誰かの為に生きたっていいが、その為に何をしなくてはならないのかという事をきちんと考える。

一人前を目指すという事は、なかなか大変。

身の程を知った上で行動する。これもまた大変。
チャンスを潰しかねない。
私は最近チャンスを潰している事に友人に気付かせて貰った。


大学に入って、経済でもやろうと思ったが、経済は大学でやらなくても、MBAを取るとかないかぎりは自主的に出来る範囲だと思い、やめて心理学を専攻したが。

今必要な事はちゃんと勉強して、可能性を最大限に拡げる事。

結局、心理学をやっていく上では、経営のリーダーシップ論なども避けては通れないし、経済で言えば、社会学や社会心理学で関係してくる。

度々言うが、必要なものは何が何でもやっておく。何ものでもなく自分の為に。
何となくではだめで、
ただ大学卒業する事だけじゃ足りないという事。

社会に出たって、日々の生活だって同じ事だと最近わかったような気がする。

もはや生きている意味なんて問いは問題ではない。そんなものどーでもいーのさ。
自発的に考え、行動するだけだな。




  


Posted by くず at 06:38Comments(1)

2011年02月03日

独り言

人は環境によって、人格、性格が大きく変わってくると言われている。

その場、その場で適応するために環境に合わせるのだ。

大人になると色んな顔を持つようになると言われるのはこういう事なのだろうと私は考える。


そんな自分に疲れたりする事はありませんか?

私は今は何とも思いませんが。
22歳くらいまでは、そのような事を考えて、少し疲れていたように感じます。

部下に厳しくしたり、取引先とのやりとり、上司との付き合いなど。
さらには古い友人との付き合いまで。

いろいろな顔を使い分けるといった事をしていた。

友人との付き合いには、そこまで気を使いはしないが、
今の自分が、本当の自分なのかを疑ってみたり。

そういった事は
これからも続いていくでしょうが、皆さんにここで一言伝えておきたい。

いろんな顔を使い分ける中で、
どのような発言、行動をとったとしても全て自分がしたという事を忘れないでほしい。

もっとわかりやすく言うと、

他人に気を使っている時も、いつもの自分ではないキャラでいても、全部自分自身だという事を忘れないでほしい。


その上でどのように協調していくかが、問題なんだろうと思う。

だから人は本気で変わろと思ったら、変われるのだとも思う。

根本的には変われないが、考え方や行動パターンくらいは変えられる。

そのためには、色んな知識、経験が必要であるし、勉強しなくてはいけない所だが。

どんな時でも
最善を尽くして、生きて活きたい。

仕事、付き合い、料理、何でも一手間、二手間かけられるのであれば、より良いいいものができると信じていきたいと思う今日この頃です。



  


Posted by くず at 07:34Comments(1)

2011年01月29日

痛い思い出‐1‐

小学生の頃忘れもしない事件。
それはある日の夜8時、テレビで金八先生がはじまった時のこと。

俺は大好きだった。

番組ではなく。主題歌の「贈る言葉」が好きだったのだ。

海援隊最高!

「悲しみこらえて微笑むよりも涙かれるまでなくほーがいい人は悲しみが多い、、、。」


贈る言葉が始まった。

やったー!

聞きたいけど無性に、オシッコしたくなった。

歌が終わる前に急いですれば(オシッコ)、まだ間に合う、聞けるだろうと思い、トイレにダッシュ。
チャック下ろす、めんどくさいから、ズボン、パンツまるごと下ろし、力一杯噴射。

急げ、これを逃したら、また来週じゃないと聞けない。一週間も待てない。

とにかく急いだ。

よし、出終わった。

よし、トイレから脱出するぞ!
パンツ、ズボンを勢いよく上げ、トイレを飛びだし、と思ったら、チャックが開いてるのに気付いて、チャックを上げた。

あーーー!
パンツがズボンについてきてなかった。
ズボンだけ上げてしまっていた。
そして、
チャックに挟んだ。

引っ張っても取れないし、凄く痛い。

その後、病院送り。

俺は恐怖と戦うことになってしまった。

もしかしたらチャックといっしょに全部切られてしまうんではないかと。

そんな事はなかった。

医者がちからいっぱい引っ張って取れた。

しかし、超痛かった。

結局、贈る言葉は聞けず、痛みだけが残った。
  


Posted by くず at 05:57Comments(0)